竹内レッスンのこと

演劇家であり、からだとことばのレッスンを通じた独創的な教育者でもあった竹内敏晴さんが先月亡くなりました。今日(10月18日)、鳥山敏子さんが主宰されている立川の東京賢治の学校で、竹内さんを偲ぶ会があって、参加してきました。実は、80年代前半の約3年間、中野坂上駅近くの酒屋の地下にあった、竹内演劇教室のレッスンに通っていたのです。APEXの原点ともいうべき連続ゼミナールの時期に重なります。それ以前に、社会学者の見田宗介さんがこのレッスンを受けていたことに刺激を受けたもの。当時、私はまだ会社勤めでしたが、夕方から週3回のレッスンに通い、特に発表会の前になると、一週間から10日くらい毎日練習がありました。別に役者になるわけでもないのに、なんでそんなに入れ込んだのか、自分でもよくわかりませんが、何か理屈でないところで魅かれるものがあったのだろうと思います。
「演劇研究所」という名前にはなっていますが、そこで行なわれていたことは、演劇にも通じるものの、もっと別のものでもありました。真にリアルな存在を生きるというか、頭の命令でなく自立的に動くからだをもって動くというか、なかなか言葉にするのがむずかしいものです。そこでの代表的なレッスンのひとつに出会いのレッスンというものがありました。稽古場の対角線上の両端に、二人の人が互いに背を向けて立ち、トレーナーの合図で、振り向いて向かい合います。あとは、何もシナリオがなく、即興で演技するというわけでもなく、ただ相手に集中して感じたままに動くのです。まったく初対面であるのに抱き合ってしまったり、逆に反発しあったり、泣き出す人もいたりと、あらゆることが起こります。話しかけのレッスンというのもありました。後ろを向いてすわっている、例えば5,6人の人に、誰かが話しかけます。声を単なる音波として考えれば、聞く側の人に区別はつかないはずなのですが、その人に何かを伝えようという気持ちがあり、きちんと話かけができると、それが誰に向けられたものかちゃんとわかるのです。
秋浜悟史作の『ほらんぱか』など、客を入れて行なう公演というか、発表会というかを確か4回やったのですが、演劇の舞台がもたらす集中というのはすごいものがあります。観客が見ているということ、その視線が、その役を生きることへの徹底的な集中を支え、人を舞い上がらせるのです。終わると放心状態のようになります。
そんなことをやっているうちに会社生活との乖離がだんだん大きくなってきたのですが、かろうじてバランスを保って、その後も会社で技術を学ぶことが続きます。なぜ竹内レッスンをやっていたのか、そこで結局何を学んだのか、それはもっと後にならないとわからないのかもしれませんが、表層的な「欲求」や、何かに流されるのではなく、自分が人間として本当にやりたいことをやっていく、あるいはやりたくないことをやらない、ということなのではないかと、今日は思いました。それは多分、今、APEXで仕事していることにも深いところで通じているように思います。今日の偲ぶ会は、旧制高校時代からなくなる直前までの竹内さんの足跡をまさに偲ぶことができる趣向になっていましたが、その精力的なお仕事の幅、層の厚さには改めておどろかされました。いつも自分をぎりぎりまで追い込みながら、84年の人生をかけぬけた方なのだと思います。竹内さん、どうぞやすらかに。