適正技術の国際会議を終えて-その1

ここ数か月の間に、私にとってもAPEXにとっても大事な出来事がいくつかありました。ひとつは、適正技術についての本を出版できたことです。「適正技術と代替社会−インドネシアでの実践から」(岩波新書)という本です。この本については、なかなかひとことでいいがたいものがあるので、また別に書きます。

それから、今年はAPEXの25周年に当たる年ですが、その記念行事として「日本・インドネシア適正技術会議−共通で多様な未来を描けるか」を開催したことです。この会議を今回のような形で構想したきっかけは、今年の2月に、ジャカルタの空港でたまたまエミール・サリムさんにお会いしたことにあります。エミール・サリムさんは、日本ではあまり知られていませんが、スハルト政権下で環境大臣を15年間も務めた人で、現在でもインドネシアの環境問題の第一人者といえます。以前、ジョクジャカルタセミナーで一度お会いしたことがあり、エミールさんのほうは覚えていないと思いますが、私はよく覚えていたのです。お声をかけると、日本語で何か気さくに答えてくれました。その少しあとで、ジョクジャカルタの本屋へ行くと、たまたまエミール・サリムさんが新しく出した「ただひとつの地球を幾百もの民族が壊す(Ratusan Bangsa Merusak Satu Bumi)」という本が目にとまり、早速購入して読み出したのです。そのへんから、何かインスピレーションがわき、エミール・サリムさんをインドネシア側のメインスピーカーとして会議を組み立てることを考え始めました。もちろん、ディアン・デサ財団のアントンも呼び、日本側のメインスピーカーとしてふさわしい方をお願いし、日本政府からもお呼びし、技術的観点から将来を語ってくれる方もお招きし…と、だんだん骨格が固まっていきました。

ただ、プログラムができて、広報や段取りが進んでも、本番まで心配していたことがいくつかありました。ひとつは、エミール・サリムさんが本当に来てくれるかどうかでした。現在も、インドネシア大統領顧問団の議長を務める方なので、ドタンバになって急に大統領から呼び出されて来られなくなる、といったことはないか、また、直前にブカレストに出張されるとのことで、ご高齢でもあり、体調をくずされて来られなくなったりしないか、という心配でした。それらはありえなくはない話なので、裏番組も考えて、もし来られなくなっても、それなりにやるしかない、と腹をくくりました。

それから、本番の前後に台風が来ないか、というのも気がかりでした。一番困るのは、やれるのかやれないのか、直前になるまでわからないというパターンです。実際、本番の一週間くらい前に新たに台風が発生したので、これにはヒヤヒヤしました。もし中止の場合、インドネシアのお二人は二日前の夜出発なので、それ以前に判断し、参加を申し込まれた方に連絡し…と段取りも考えていました。しかし、台風は早々と日本の北東の海上へ抜けてしまい、助かりました。

さらに、参加者が集まるかどうかも心配の種でした。「適正技術」といっても、あまりポピュラーな言葉ではないので、広い国際会議場にパラパラとしか人がいない状況にならないか、そうすると、せっかくインドネシアから来てくれたお二人や、いずれも超ご多忙な日本側の講師の方々に申し訳ない、と思っていました。案の定、申込みの出だしは悪く、どうしようかと思いましたが、徐々にふえていき、特に開催1週間前になって急にふえて、この悩みも解消しました。

エミール・サリムさん、アントンさんも前日になって無事到着し、ともかくも会議が始まったのです。(続く)